ら抜き言葉

ら抜き言葉

「ら抜き言葉」をご存知でしょうか。

『「見れる」「起きれる」「寝れる」「食べれる」「来(こ)れる」など、「~れる」の形で可能の意味を表す下一段活用の動詞をいう。
見られる(ミルの未然形:ミ+助動詞:ラレル)
起きられる(オキルの未然形:オキ+助動詞:ラレル)
寝られる(ネルの未然形:ネ+助動詞:ラレル)
食べられる(タベルの未然形:タベ+助動詞:ラレル)
来(こ)られる(クルの未然形:コ+助動詞:ラレル)
などのように、「~られる」の形が本来の正しい言い方。…(以下略)』

と定義されています。(大辞林 第三版より)

 

「見ることができる」という可能の意味を示すとき、正しい言い方は「見られる」です。
ここから「ら」を抜いて、「見れる」と言ってしまうのが、「ら抜き言葉」です。

 

最近、この「ら抜き言葉」が非常によく使われています。

この言葉遣いには、賛否両論があり、時代の流れでそのうち容認されるだろうという方や、擁護される方もいるようです。

擁護派の意見では、「見る」の可能を「見られる」ではなく、ら抜きの「見れる」とすれば、

・「私は資料を見れます」=見ることができる(可能)
・「お客様、資料も見られますか」=尊敬語

と、はっきり区別がつく、ということらしいのです。

確かに、「られる」は尊敬の意味を持つ助動詞でもあるため、「見られる」という言葉だけでは、可能と尊敬、どちらの意味で使われているのか分かりにくいかもしれません。
ただ、普段の会話の中であれば、話の前後の内容から、どちらの意味か推測することはできます。

更に、「見る」の尊敬語は、正確には「ご覧になる」ですね。

このように考えてみると、可能と尊敬の区別のために、「ら抜き言葉」を擁護するという話には、疑問を感じます。

 

また、「ら抜き」では真の意味が通じなくなることもあるのです。

例えば、「着る」 を、 可能の意味で「着れる」と言った場合、「服がキレル」では「服が切れる」という意味にとられてしまう可能性もあるわけです。

やはり「着られる」が的確ということが分かります。

何より、「ら抜き言葉」を実際に耳にすると、つたない印象、頼りない印象を受けませんか?
大人として、正しい言葉遣いを身につけたいですね。